DS:ストーリー「秋月涼」現時点での総括

例によって、A1ランク勝敗エンド、B2ランク(勝敗同じ)エンドを見終えての暫定的な感想を残しておく。

まず、前の二人とはだいぶ構成が違ったなぁ、と。
例えば、持ち歌。
愛は最後の最後、A1エピソードで「ALIVE」を獲得し、絵理は最後のひとつ前、B1エピソードで「プリコグ」を得たのに対し、涼の「Dazzling World」はC3エピソードで得た後、楽曲固定状態で3回のオーディション(3話のエピソード)に挑む事になる。まさに中堅クラスからトップアイドルとなるまでの短くない期間を代表曲として共に歩んだ、「秋月涼とそのファンが育む楽曲」と言う描かれ方に相応しい。
特に、A1エピソードのラスト、武田さんの番組でのステージシーンの描写は、時を重ね、様々な経験を経る事で、長く歌い続けた楽曲に様々な想いが込められ、楽曲のニュアンスが広がってゆく様を描いている様にも読む事ができる。何年も特定のシンガーの成長を見守った経験がある人ならば、きっと覚えのある感慨を味わったのではなかろうか。

A1ランク勝利エンド(つまり全勝エンド、俗に言う「True End」、攻略本では「Good End」)が、「続き」が描き難いであろう、全てが理想的に進んで完結してしまった風な話になっている点も興味深い。一方で、A1ランク敗北エンド「いつか本当の姿に…」であれば、矛盾無くこれまでの延長線上の物語が描けるため、(夢子さんとラブラブチュッチュを主目的とせずに)涼の話を書きたい人は、勝利エンドではなく敗北エンドを選ぶのではないかと思う。

それはそれとして、B2ランク(勝敗同じ)エンド「こんにちは、私の夢!」の後味の悪さが半端無い。
いや、これも本当なら受け手の気の持ち様で何とでも消化出来る体裁なのだろうが、個人的には、自分のアイデンティティーをファンに見出して自分の気持ちを処理してしまった涼に、身悶えするほどにやりきれない気持ちが募る。
加えて、まなみさんの言った事も概ね正論なだけに、この気持ちを何処へぶつければ!…と。そう、絵理の時と違って「こいつがこんなだから」と怒りをぶつけられるスケープゴートが居ないのだ。全ては結果であり、誰にもその責めを負わせる事など出来ない。(敢えて言えば社長がアレなんだが、)

なんか色々と抉られたんだが

取り繕っても仕方ないので率直に言おう。
90年代に望まぬアイドル路線を強いられた女性声優達を思わずにはいられない。

与えられたその方向性をすんなり受け入れる事が出来て、かつ、それが成功した人はまだいい。
だが、プロデュースの方向性が十人一色似たようなものばかりになるのに対して、その素材にされる人間は、皆が皆、同じ感性や適性を持っているわけではない。
その方針を拒めずに苦しみながら受け入れた人達がいて、その方針を拒んで葛藤した人達がいた。
従った人達が必ずしも成功してその道に生き残れたわけではないし、拒む事で自分の色を出して生き残った人達もいる。
ただひとつ確かなのは、誰に強いられてどの様な賭けをしても、その結果についてプロデューサーもファンも責任を取ってはくれないと言う事。例えそれが、多くのファンが望んだ方向性であったとしても、だ。

涼、君は自分の想いを殺してそれを受け入れたんだね。
俺達が勝手な願望を投影し、御し易い愚かな消費者たる事に甘んじたばかりに、君は、その幻想に人生を捧げる事を「喜び」と感じるまでに、自らを洗脳してしまったのか。
それでも、消費者は飽き易く気紛れなものなんだ。君が自らを表現する事を諦め、幻想に全てを捧げたとしても、その幻想の主達は、幻想が続く事、続ける事を保障しない。いずれは勝手な理由を付けて梯子を外し、他の子にまた別の幻想を被せるだろう。
君はその時、自らの表現を、自らの人生を取り戻せるのだろうか?

「私の全てを、ファンのみんなに捧げる事にします♪」と言う台詞が一番残酷で、錆びた刃物を付き立てられた様なショックを受けた。一瞬目の前が暗くなって、口の中が乾いた。その後にも、涼自身は納得して仕事を楽しんでるから、だからこれでも良かったんだ、と言う意味合いの描写、エクスキューズが並ぶもんだから、感極まって泣きそうになった。

…また感情のままに書き殴ってしまった。後日、頭が冷えたら書き直す。

周辺人物の描写がそこはかとなく深い

深く描かれていない人も居るので一概には言えないのだが、例えば涼のストーリーにおいては、武田さんやまなみさんが、涼を一人前の人間と見なして向き合ってくれていて、上っ面だけのキャラクターではない描き方に好感が持てた。
自分がラノベを読まなくなった理由のひとつが、一人称主人公以外の人物描画がやたらと薄っぺらな作品が増え、対人関係の未熟な作者が現実感の薄い脳内キャラクターを捏ね繰り回す印象が濃くなり、その子供臭に嫌気が刺したからなのだが(註:過去のラノベブームの時の話。今のは読んでないから知らない)、やはり作中の大人は大人として作られていないと面白くない。

B2エピソードでまなみさんが語った職業観なんてのは、身近なところに転がっていて、尚且つ、答えの無い問題だ。
たぶん転職のハードルが昔より下がったからなのだろうけど、「自分はこの仕事に向かない」と追い詰められて職を辞したものの、別の職を経て思いが強まり、また戻って来たと言う話は割りとある。その人が最初に「辞めた」時に、俺だって何の才能も無く、向いてるとも言い難いけど、まだ諦めが付かないから噛り付いて踏み止まってるだけだ、と思ったのを覚えている。そして、俺もいずれは彼のように諦める日が来るのだろうか、とも…。
届かぬ夢であっても追い続けるべき、なんて無責任な事は、間違っても言えやしない。

やっぱり、正解なんて無いんだよ。
自分の答えが見つかるまで続けるしかないんだ。
尾崎さんも、夢子さんも、諦めが良過ぎるのが歯痒い。


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