TVアニメ「K」

だいぶ前、まどマギ(TVアニメ版)のラスト2話放送前夜にエントリを上げた気がしますが、たまには非アイマスなオタネタも書きますよ、と言う事で、現在TBSの深夜枠「アニメイズム」にて放送中の「K」について少々。
(他にも「氷菓」と「Another」に関連して、書いたけど公開してないエントリがあったり、)

あ、先にdisclaimerとして申し上げておきますが、私は「公にネガティヴな事を言うべきでは無い」とは全く思っておりません。
「私は××を楽しんでいるのに、貴方がdisったせいで気分を害した」と苦情があれば、「貴方には読まない自由があるよ」とお応えする事になります。
不正確な記述があれば謹んで訂正させて頂きますが、気持ちの問題は当方では責任を負いかねます。悪しからず。

とりあえず三話まで見ましたが、色々と酷いですね。
でも、ダメアニメはダメアニメで面白い(「滑稽」と言う意味で)部分がありますので、ダメ判定→視聴中止とは必ずしもならない。現時点では継続視聴の予定です。
「良作か / 駄作か」と言う評価軸と「おもしろいか / つまらないか」と言う評価軸は別のもので、これは俺的には「駄作だけどおもしろい」になるのかな、と。(「良作だけど趣味に合わないのでつまらない」と言う場合もあります。)

演出や脚本は、一言で言えば「スタイリッシュ気取りの空回り」です。
「こーゆーシチュエーションをこーやって描けばカッコイイでしょ?」と言う思惑はビンビン伝わって来ますが、それを見た感想は「うんにゃ、全然」「うーん、イマイチ?」でそんなにかっこよくは無い。
伝わって来る「作り手の気負い」に対する実際のアウトプット(成果物)の空回りっぷりを見るに、なんでこーなっちゃったかなぁ?と言う一抹の苦味を感じざるを得ない。

一番酷いのは劇伴でしょうか。
用意されたバリエーションが少ないのか、それが流れている時に描かれている場面に合っていない事が多く、何度も繰り返し同じ曲が使われている印象を受けます。劇伴はそれがシーンにマッチしていればそんなに意識しないものですが、マッチしていないが故にメロディの印象が強まり、同じメロディを聴いて「またか」と言う感覚になる。
また、曲を入れるタイミングが「曲の構成」を考慮していないようで、シーンの印象に寄り添ったり、盛り上げたりするものではなく、シーンへの没入を妨げる障害になっている。特に曲の入りの違和感が酷いです。

せっかくの挿入歌もシーンにあっていないだけでなく、奇妙なタイミングで切られる等、「そこでそれを使う意図」が伝わって来ません。
Angelaは第二次独立系時代からのファンなんで、こーゆー事をされると「無駄遣い」と残念な気持ちになります。これが知らないミュージシャンなら、間違いなくミュージシャンの印象にも悪影響があったでしょう。

唯一の救いがコメディ要素、コミカルなシーンは悪くないです。
第二話の終わりの方は素直に笑いました。あれが無ければ第三話は見ないで削除した可能性が高く、あのタイミングであのシーンが入ったのは(興味関心を引き延ばすと言う意味で)とても上手い。
ただ、ここまでで「どう考えても貴方達(監督と脚本)はコミカルな作品の方が向いている」と言う感想。「スタイリッシュ気取り」にコミカルを混ぜるのではなく、コミカルをベースにしてスタイリッシュに挑んだ方がいいのではないでしょうか?
そうそう、連れは第三話の「コード:ロイヤルブルー」で噴いていましたが、あれはスタイリッシュ要素ではなくギャグ要素でいいんですよね?

脚本について言えば、今時の俄か腐女子様方御用達の「シチュエーション至上主義」的な作りです。
女性作家をまとめてdisるつもりはないので敢えて説明しますが、キャラクターの生い立ち・経験が性格・生き様を作り、その性格が他の性格と交わることで関係性が出来て、様々な関係性の交錯で物語(ドラマ)が編み出されるのが「ドラマ至上主義」的な脚本、オタ界隈では小林靖子さんなんかが代表的だと思います。
それに対し、まず何種類かの性格を定義し、その性格を付与されたキャラクター数名が対峙するシチュエーションを作る。シチュエーションとシチュエーションを繋ぐ経緯にはあまり拘らないのが「シチュエーション至上主義」的な脚本、これは両澤千晶さんを例として挙げたい。

後者の脚本は「カッコイイ決めシーン」をたくさん作れる一方で、キャラクターの人格を軽視し「何故その様なシーン(状況)に至ったか」を充分に描かないために、人物に深みが出ません。
例えば、2話でシロがクロを騙して逃げた際に「次に会った時は殺される」と言っています。
あのシーンはただクロに恐怖して逃げたと言う描かれ方ではなく、シロはこの上無く冷静に判断して行動したように見えますが、「次に会った時は殺される」と思っていながら、その場においてクロに対し弁明を尽くして命を狙われないようにするのではなく、ただその場限りの嘘で騙し、悪印象を与えながら逃げる判断をしたのは何故でしょうか。
シロにはその様な判断をする「背景」があったのでしょうか。

シロにはクロから永続的に逃げ切る自信があって「もう二度と会わない(=殺されない)から構わない」と考えたのか、
「今は殺されたくない事情があるから手段を選ばずにただ逃げるが、次に会う時は殺されてもいいので敢えて弁明はしない」と言う考えなのか(基本「死にたがり」だが「一時的に死にたくなかった」場合)、
あるいは、「抑え切れない破滅願望的な衝動により、長期的に自分の身を守る事よりも、その場においてクロをからかう事を優先してしまった」なのか…

考えられる可能性は他にも幾らでも上げられますが、それ自体は何でも良いんです。
何でも良いんですが、何であれ「背景」が必要。それが「ある」か「ない」かは作品内の人物描写全体にハッキリと影響を及ぼします。

日常のありとあらゆる状況において、その人物がその様に考え、(故意か無意識かを問わず)その様に行動する「背景」、行動原理こそが人物描写と言っていい。
そのキャラクターの中にきちんと行動原理が存在していないと、ただ単にシチュエーションを作るためだけに、思ってもいない台詞を言わされ、意思の通わない行動を取らされている雰囲気が滲み出てしまう。
背景、行動原理、これは物語の中のキャラクターの魂みたいなものです。キャラクターに魂が入っていないので、声優にもキャラクターが宿らず、収録された台詞は「気持ちの篭っていない上っ面の言葉」に、棒読み同然に聴こえてしまいます。(これは「声優の無駄遣い」)

余談ながら、ネコのように「自分が何者であるかを知らず、また、何者であるかに拘らない」と言うのもひとつの「背景」です。
この様なシチュエーション重視の作品では、描写量に対し「背景」が圧倒的に不足する主要人物よりも、「背景」をそれほど必要としない周辺人物の方が人物と表現が噛み合い易いのかも。

この人物はこの様な背景であるからこの様に行動する…と言うのを機軸にして描かれたシーンは、細部にも説得力が宿ります。
クロのアタッシュケースの中身があまりにも中途半端で不自然に感じてしまうのも、あれが予め設定されたクロの行動原理に基く所持品ではなく、「クロがここで場違いにこんな振る舞いをしたらウケルんじゃね?」程度の考えで「持たされた」ものだからじゃないかと思うわけで、クロ自身はこの先、あの様なアタッシュケースを持つ人物には相応しくない(設定的に矛盾を感じる、キャラクターの性格や嗜好の一貫性を維持できない)振る舞いを見せる事もあるだろうな、と、プリコグ。

大真面目にこーゆー事を書くと「馬鹿笑いしながら見る作品にマジレスすんなよ」と言われる場合もありますが、当方は「ネタにマジレス」が信条ですので何卒ご容赦下さい。

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